みなさん、こんにちは!中村聖子と申します。
私は九州の西の果てで子育てや家事をしつつ、おうちでいろんなネットビジネスをしながら、わりと自由に楽しく生きています。
様々なジャンルに挑戦して「月1万円」の壁を超えることができ、最高月収130万円を達成!
失敗もたくさんしてきましたが、今の生活スタイルには満足していて、とても幸せです(⋈◍>◡<◍)。✧♡
ここでは、私がネットビジネスに出会う前までの生い立ちや、お金に対する考え方などをご紹介します。
子育てをしながらお家でできる仕事を探している人や、専業主婦でも今より自由な働き方・生き方をしたいと思っている方へ、ヒントになることがあると思います。
ちょっと長くなりますが、ぜひ最後まで読んでくださいね(*^-^*)
ネットビジネスに出会った後のプロフィールを先に読みたい!という方はこちらをどうぞ。

自己肯定感は低いけど根性はある子ども

小さい頃は、どちらかというと真面目な優等生タイプ。
先生や親に怒られるのが嫌で、生活態度も勉強もそれなりにちゃんとしていました。
決して裕福ではなかったけど、ピアノや習字を習わせてくれたし、誕生日やクリスマスのプレゼントも欲しいものを買ってもらえていたことにはとても感謝しています。
でも「お金に余裕があるわけではない」というのは子どもなりにわかっていました。
長女だったせいもあるのか「いい子にしなきゃ」と思うあまり、今振り返ると、自分の本当の気持ちがなかなか出せない自分に生きづらさも感じていたような気がします。
高校~大学時代に少しずつそんな自分を変えようと、
原チャリで四国一周一人旅をしたり。
中国北京へ短期留学に行ったり。
あらゆるチャレンジをし始めるものの、いつも心の中では「私なんて・・・」っていう想いがずっとある自己肯定感の低い人間でした。
高校時代の数学の先生に憧れて、大学では教員採用試験に向けて猛勉強!
努力の甲斐があって、試験に一発合格し、地元へ戻って中学校の数学の先生になりました。
大学も、教員も「無理だ」って言われてたけど、足りない実力を努力と根性でカバーする力は持っていたと思います。
それでも、自分にはあまり自信が持てないのでありました。
念願の先生に!でも理想と現実は違っていた・・・

死ぬほど勉強してやっとなれた中学校の先生。
子どもたちと過ごす時間は、本当に楽しいものでした。
大学時代まではアルバイトしながら節約の日々だったので、お給料の面でも十分すぎるくらい満足!
しかし、予想以上の激務と人間関係の問題で、うまくいかないことばかり・・・
そんなとき思いもよらない転勤を命じられ、かなり落ち込みました。
頑張っても頑張っても思うようにいかない。
気付いたら微熱が1か月以上も続き、朝からお腹が痛くて立ち上がれないほどになっていました。
同僚の先生に心療内科へ連れていかれ、即ドクターストップとなり休職。
一度復帰したけれど、それでも体と心が元に戻れなくてまた休職。
苦労してやっとの思いで先生になれたのに・・・
理想の仕事に就けてお給料が良くても、幸せになれるわけではないんだって実感しました。
結局、戻る気力がまったくなくなって退職し、学生時代からちょっと夢だった中国への長期語学留学へ行くことにしました。
人と会うのにも疲れてたので、誰も知っている人がいないところに行きたかった。
それに、環境を変えたら自分も変われるかな、って思ったんです。
中国へ語学留学~医療通訳の道へ!

日本で働いていたときに貯めていたわずかな貯金をはたいて、中国上海の大学で1年間中国語を学ぶことになりました。
中国は何度か行ったことはあったけど、そのときの私は「ニーハオ!」ぐらいしか話せなかったんです。
だから、最初の3か月は本当に大変でした^^;
でも、安定した仕事を辞めてまで行った中国。
貯金を食いつぶす毎日だったから、ちゃんと勉強して仕事で使えるくらい語学を身につけないと親にも申し訳ないし、自分でも情けないし・・・
そこでまた自分にプレッシャーをかけてしまうんですね。
だけど、中国での生活は適度に適当な感じがすごく当時の私には合っていました。
それで少しずつ心も体も元気を取り戻し、また努力と根性で語学の試験を突破!
1年半の留学で医療通訳の仕事に就くことができました!
中国の病院で、日本人の患者さんのためにお医者さんや病院スタッフとの間に入っての通訳や、資料の翻訳、入院などの手続きなどの仕事を必死にやりました。
お給料は決して良くなかったので、就職しても節約の日々でしたが、刺激的で充実した毎日を過ごせていました。
そしてある日、出張で行った別の都市の病院で、元夫となる人に出会ったんです。
しかし、勤めていた会社がちょっと危うくなり1年で退職することに・・・
そんなときネットでたまたま見つけた「ワーキングホリデー」の文字。
見てみると年齢制限が30歳まで!?
29歳だった私は迷わず、ワーキングホリデーのビザを取り、わずかな貯金を持ってニュージーランドへ飛びました!
将来のことを考えたら英語もできたほうがいいし、まだ見たことのない世界を見てみたい☆
心も体もすっかり元気になった私は、やりたいことを思いっきり楽しむことができるようになっていったのです。
しかし、お金の不安はいつも付きまとうことになりました・・・
ワーキングホリデーでニュージーランドへ

医療通訳をしていたときに貯めていたわずかな貯金を持って、ニュージーランドのロトルアという町へ行きました。
最初の3か月間はホームステイをしながら語学学校へ通い、それまで英語アレルギーだった私はまた努力と根性で中級コースまでいくことができました。
その後、中古車(ブルーのブルーバード)を買って北島一周の旅をしてから南島へ。
クライストチャーチでまた1か月間学校に通い、全集中で勉強してTOEIC750点を突破!
持っていたお金がかなり減っていたので、2か月間日本食レストランでアルバイトをしてから南島一周の旅へ。
しかし、ビザの期限である1年を前に帰国することにしました。
理由は「お金」です^^;
ニュージーランドでの日々はとても充実していて、旅をしていた時は好きな時間に好きなことをして、気が向いたら好きな場所に行く、という自由な生活を送っていました。
それなりに楽しかったんですが、お金がないことでやりたいアクティビティができなかったり、食べたいものが食べられなかったり、本当は行きたかったけど断念した場所もありました。
そのとき「自由って何だろう?」「自由って本当に幸せなのだろうか?」ってよく自分に問いかけていましたね・・・
そして、強く思いました。
「自由な生活を楽しむためには、ある程度のお金が必要なんだな。」
って。
そんなことを考えながら、いったん日本へ戻りました。
中国へ戻り再就職~結婚

私は日本で心も体も疲れちゃったことがトラウマになっていたので、すぐに中国へ戻り就職活動を始めました。
「今度こそお金の心配をせずに暮らせるいい仕事に就きたい。」
そう思っていましたが、当時遠距離恋愛中だった元夫が住んでいる場所では、なかなか理想の仕事が見つからなかったんです。
ビザの期限が迫って焦っていたこともあり、妥協して元夫が住む隣の市にあった日系クリニックで働くことになりました。
お給料は通訳時代よりも良く、ボーナスもあったし、住宅やビザの手当ても出たので当時にしてはなかなかいい条件だったと思います。
でも、やっていてそれほど充実感を感じることができず、元夫とは週末しか一緒に生活できないことにもストレスを感じ始めていました。
その後結婚を決めて、すぐに第一子を妊娠することができたのですが、12週目で流産・・・
私の人生ってなんかうまくいかないな、ってかなり落ち込みました。
結局、日系クリニックの仕事は1年で退職し、妊娠~出産へ専念することにしました。
